鳴り止まぬ拍手、
立ち上がった観客たち。
林立した観客の隙間からカーテンコールの様子を垣間見ながら、
私はどうしても立つことができなかった。
あの初演時の、
体中が震えるほど熱くなって
心から「おめでとう」と「ありがとう」を届けたくて
自然と体が浮き上がり、力の限り拍手し続けた、
あの舞台と、
今日の舞台と、
同じように立っていいとは思えなかったから。
荒れた舞台だった。
物語に求心力がない。
一つひとつの場面に迫力がない。
たたみかけるような、場をのみこむような、
あえて言えば、
筋などどうでもよくなるほど引き込まれるパフォーマンスがない。
Kバレエの全幕もののよさは、
筋立ての明快さ、スピード感、
そのスピードの中で多用されるハイレベルなステップ、
そして音楽性である。
しかるに初日はそのスピードに負けて、
話はマイムでなぞるだけになってしまっていた。
まるであわただしく紙芝居を繰っているかのよう。
特にグルナーラ役の松岡梨絵が精細を欠いた。
悲しみも拒絶も、形だけなぞっているように見え、
売られた女の悲しみが伝わらない。
とりわけ終盤、
最後の最後までパシャを拒絶しておきながら、
急に「ごめんなさい」「許して」に変わるのが唐突で、
感情移入できなかった。
人一倍誇り高い女性が、体だけでなく心まで蹂躙され、
抗う気持ちを潰されてただ従うだけの「奴隷」になる、
その過程が見えないために、
メドーラが「逃げましょう」と誘うのをなぜグルナーラが止めるのか、
「そんなことは無理よ」と怖がるところにつながっていかないのだ。
また二幕の洞窟場面に女性の踊りが挿入されたのだが、
その分印象が散漫になってしまった。
ここでは男たちが自分たちの航海をメドーラに語ってみせたり、
鉄砲や剣の踊りがあったり、と
どちらかというと硬派な雰囲気が勝っていて、
そこが「いかにもバレエ」という殻を打ち破って新鮮だったし
何より
「この場面はこの踊りでなくては」
「この音楽にはこの振付でなくては」という必然性があった。
その特徴が薄まって、
どこにでもあるようなバレエになってしまったのが残念。
メドーラの浅川紫織も
丁寧だし正確だし、悪いというわけではないけれど、
プラスアルファの魅力が湧いてこなかった。
それが如実に現れたのが、
本来なら白眉となるはずの二幕グラン・パ・ド・トロワ。
「海賊」といえば、この音楽、という有名すぎる調べにのって
盛り上がらないはずはないのに、
私は初めて
このパ・ド・トロワの意味を問うた。
メドーラとコンラッドが恋人で、
アリはコンラッドの忠実な僕(しもべ)である。
アリがコンラッドとメドーラの間に入って3人で踊る意味は何?
浅川だけではない。
熊川にも
私は今までにない物足りなさを感じた。
一幕の
奴隷市場でパシャやランケデムをおちょくりながら駆け抜けていくところは、
音楽にもよくのり、胸のすく演技でいよいよ円熟味が増していたが、
肝心のパ・ド・トロワが凡庸だった。
待ちに待ったこの瞬間だったのに。
これがバジルとならんで熊川の十八番と言われた「海賊」なのか。
今まで何度も聞いた音楽にのって、彼が踊っているというのに……。
いつもここで、
最高の拍手ができるはずなのに。
1993年には、
ただ彼が、メドーラの現れる方向にひざまづいただけで、
爆発するかと思うほど胸打たれたのに……。
音楽以上の盛り上がりを
アリの感情のなかに見つけることはできなかった。
そして何より……。
熊川のジャンプが低かった。
彼特有の、突き抜けたような高さ、ありえない滞空時間。
それがなかった。
白状しよう。
これこそが、今回私がもっともショックだったことである。
ともすれば、
ランケデムの伊坂文月のジャンプのほうが勢いがあるようにさえ感じ、
そう感じる自分が恐ろしく、
冷静ではいられないほど衝撃を受けてしまった。
コーダで、熊川はこれ以上ないほど速く回った。
けれど、それはアリではなく、熊川としてのパフォーマンスだった。
客席の拍手は、そんな熊川にだけ贈られた。
全幕を通して、自然発生的に生じる拍手は極端に少なく、
あっても弱くて長くは続かなかった。
大丈夫か? Kバレエ、
大丈夫か? 熊川哲也。
熊川哲也も、あと1週間で38歳だ。
これから熊川はどうなるのか、
そしてKバレエはどうなるのか。
私は自分の中の疑問を解くために、
アリ/橋本、コンラッド/遅沢、メドーラ/東野、グルナーラ/荒井
の公演を観ることにした。
私がもっとも愛する荒井のグルナーラはどうなっているか、
初演で素晴らしいランケデムを演じた橋本、
その後負傷した熊川に代わってアリのメインキャストとなった彼が
自らの故障も克服してどんなアリを演じるか、
再演ではアリを演じた遅沢が挑むコンラッドはどんなものか、
ジゼルではいまひとつ物足りなかった東野が、どんなメドーラを見せるか。
これを確認せずに、
Kバレエの未来は語れない。
私はそう思ったのだった。(つづく)
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