「ムリ!」という「リミッター」(自主規制)をはずした日
小さい頃から、書く仕事がしたかった。
小説家、新聞記者、評論家。でも・・・。
「ものかきになりたい」でも「なれない」。
即座に答える自分がいた。
そうやって「一番なりたいもの」から目をそむけながら、
学校も決めてきたし、仕事も決めた。
だから一生続けたい仕事に出会えるはずもなく、
結婚が決まったらコトブキ退社で専業主婦に。
心の中にはずーっと「書きたい」がくすぶり続ける。
でもその「書く」は、「日記」だったり「勉強」だったり、
「てすさび」か「つれづれ」でしかない。
自分の書くものは全部「無価値」。それが、自分の下した判断だった。
それが変わったのが、1988年だ。
1988年そして1989年というのは、
ちょうど昭和の終わる頃でもあるけれど、
様々な節目が一気に来たのは世界だけではなかった。
私の人生にもいろいろなことがあった。
流産をきっかけにちょっとした病気の可能性が知らされ
「もしかしたら死んじゃうかも」と思って自分の人生の総決算をした。
女としては、恋もして好きな人と結婚して子どももできて、悔いはない。
妻として母としても、
結婚してから今まで「こうしておけばよかった」と思ったことはない。
だけど。
一人の人間としてはどうだろうか。
家庭科大きらいな自分が
毎日毎日掃除して洗濯して料理して子どものオムツ洗って。
私が生まれ、30年間生きてきたのは、このため「だけ」だったのか?
家族は大切、子どもは大事。
でも、これ「だけ」が私の人生じゃないはずだ!
私は専業主婦になりたくて、がんばってきたわけじゃない!
・・・でも、高校生のとき進路を聞かれたときは、たしか・・・
「幸福な家庭を築き、納得のいく子育てをしたい」と答えたような気が・・・。
じゃ、専業主婦でいいじゃん!
いやいや、あの頃は、とにかく早く家から、親の価値観から
独立したかったんだ。
そのとき担任の先生に
「ふざけるんじゃない!」と一蹴されたのも、今となってはいい思い出。
もちろん、ちっともふざけてなんかなかった。
「本心」で訴えてた。親以外のオトナに、必死にサイン出してた。
でも、見えてなかったんだな。
なんでこんなに自分が苦しいのか、
なんで「結婚して・・・」みたいなこと言う自分になっちゃうのか、
ちっともわかってなかった。
進路だって、経済学部に行くとか言って。
小説は好きだったけど
「あれは娯楽。勉強するもんじゃない」とかなんとか。
「お前が文学部に行かなくてどうする!」と声を荒げてくれた先生のほうが
よっぽど私のことをわかってくれていたんだ、と、今ごろ気がつく。
その一喝で、私は文学部にターゲットを絞るんだから、
いわば恩人だ。ありがとう、先生。
その先生も、
高校の教師を続けながら必死で小説を書いていたっけ。
1988年、
私はあるTV番組を見ていて
「誰に見せるために書いたわけでもない日記でも
時空を越えて人を感動させ、涙させる」ということを実感した。
「日記でもいいんだ」
つれづれでもいい、自分の書きたいことを書いて死ぬ。
今はお金にならなくても、
いつか人が認めてくれることもある。
そうだ、ゴッホの絵だって生きてるうちは1枚しか売れなかったし・・・。
そして私は書きまくった。
日々の日記にありったけの時間を費やして。
観たこと聞いたこと思ったこと思い出したこと、ぜーんぶ。
・・・まあ、そうなると、リミッターっていうのははずれまくるんですね。
最初から、自分は「ものかき」になりたかったんですから。
私は映画のシナリオを書いた。
小説を書いた。評論を書いた。エッセイを書いた。
スクールにも行った。
認められなくても、自分で「ダメだな~」と思っても、とにかく書いた。
そして今、私は「ものかき」のはしくれです。
「なりたい」と思った日からリミッターがはずれるまで18年、
リミッターをはずした日から正式に「ライター」と名乗るまで、
さらに18年かかりました。
私がなぜ、こういう話をするかというと、
今これを読んでいるあなたが
もし何かに「なりたい」でも「なれない」、と即座にリミッターかけていたら、
それさえはずれれば、
人生はまったく違った方向に転がっていく、ということを
知ってほしかったからです。
他人が押しつけるどんな「壁」よりも、
自分の中の「壁」がもっとも高い。
そのことを、ぜひ頭の隅に覚えていてください。
あなたが「なる」と決意するだけで、
あなたの人生は必ず「今とちがった方向」に転がっていきます。
「できない」と思ったことの多くが「できる」ようになり、
「自分とは縁遠い」と思っていた世界に飛び込め、
「なれない」自分が「なれる」自分に変わるのです。
ただ
成功した人がよく言いますね。
「あきらめなければ夢はかなう」と。
私は「夢はかなう」と断言はしません。
世の中、そうそう甘くない。
でも
「あきらめないで日々努力する」ことこそが、
夢に近づく最大のツールであることだけは、確かです。
私は、もし今死んでも、これまでの人生に悔いがない。
もちろん死にたくないし、やりたいことはいっぱいある。
でも。
今の私に、「こうしておけばよかった」の後悔はありません。
自分の人生を全うするために、前を向いていると実感できるからです。
そして「なる」と決めたら、
それまでの人生は、すべてそのための糧となることも伝えておきたい。
人生、「ムダ」な経験はありません。
私にとっての「専業主婦時代」も、今となっては私の武器の一つ。
さて、
あなたは今、何になりたいですか?
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